留学ブログ その15

次は小学生時代

 

自分の通っていた保育園出身者で僕と同じ小学校へ進学する子は一人しかいなかった。近くのマンションに住んでいた女の子だった。その子は3年生のときに引っ越してしまってどっかへ行ってしまった。

 

すごく仲はよかった。よく家にお邪魔していっしょにファミコンスーファミをやったものだ。当時恋愛なんてものは知らなかったけどかわいいなあとは思っていたしもう一人たまに一緒に遊ぶ男の子にその女の子をとられたらいやだなとは思っていた。引っ越してしまった後も数年は年賀状をやりとりした。

 

家族ぐるみで仲が良かったせいかミラクルが起きる。どうやら数年前に隣の隣あたりの市に引っ越してきたらしい。母は僕が知らない間に去年、母親同士で会ってきたらしい。教えてくれればよかったのに…次会うときは声をかけてくれと母親に頼んでおかなければ。

 

学童保育所というのを知っているだろうか。私立出身の人は知らないかもしれない。小学校3年生までは確か夕方5時まで長期休みの間も小学校の中の施設で子供を預かってくれるというサービスだ。僕はそれに入れられていた。授業が終わって帰る子がほとんどの中、校庭にあるプレハブでできた保育所に行くのは最初のうちはさみしかった。でも先生は優しいし上級生はちょっとこわいけどなかなか楽しかった。

 

小学校では1年生から6年生までほぼずーーーっとドッヂボール漬けだった。たまにサッカーの体をなしていないようなサッカーもやった。おかげでその後運動ができない人にはならないで済んだしそれなりにドッヂボールが強かったおかげで走るのは遅いが日陰者にはならないで済んだ。小学校での男子の人間関係の上下は運動ができるかがすべてである。小学校のうちからいろいろ習い事をした。

 

しかし、保育園編で述べたように幼い頃の僕は水が苦手だった。小学3年まで泳げなかった。もちろん体育の水泳の授業は恐怖でしかなかったし学童保育所では夏休み、学校のプールを使って水泳をさせられたので憂鬱でたまらなかった。

 

しかし小学校3年生で転機が訪れる。なんとか犬かきができるようになったのだ。毎日お風呂で風呂桶にお湯をはって10秒間息を止めて顔をつけることをしていたからかもしれない。当時クラスの男子の中のけっこうな人数がスイミングスクールに通っていたので自分もメドレーできるもんね!とか言いたいと思った。それからすぐにスイミングスクールに通いだす。

 

そういえば小学一年生のときにボーイスカウトに入ってある日アイススケートを体験したことで楽しくてアイススケート教室に通うことにもなった。これは小学校3年の前半までだった気がする。いつもspeedのwhite loveとgreyのhoweverが流れていたのを思い出す。閉館はなぜかいつもjohn lenonnのimagineだった。教室ではフィギアスケートのほんとにド基礎をやってた。母親と通ってたんだけど楽しかったなあ。

 

小学3年生になって仲の良かった女の子と離れ離れになってしまったところで今度は近くに小学校でできた友達が引っ越してくる。彼とは毎日遊んだ。よくわからないことをたくさんしたしピンポンダッシュをして見つかってその家のおやじに怒られたりもした。彼は群馬に単身赴任なうだが今でもごくたまーには会う。

 

小学5年が終わるころ、耳に違和感を覚えて耳鼻科に通うようになって春休みに手術を受けることになってしまった。入院がはじまった次の日にプレステ用ソフトのワンピースグランドバトル2が発売されたので買ってもらって次の日に手術を終えてからは同じ病棟でできたともだちとひたすら遊んだ。耳がやばいとわかってからは水泳をやめ、テニスを習うようになった。当時はテニスの王子様がちゃんとテニスをしていたころで、有明のイベントにいって松岡修造に会ったり許斐剛先生にウィンドウブレーカーにサインをもらったりしたこともあった。

 

それから小学校と言えばやはり給食。カレーは奪い合いであった。コーヒー牛乳も奪い合い。きな粉揚げパンも。学校で作ってくれるというのは素晴らしいシステムだなと今振り返ってみて思う。

 

小学校は楽しかった。夏は校庭にある夏みかんをつまみ食いしたり、木に登ってクワの実をとったりしていた。卒業式が終わってみんなでご飯食べてカラオケ行ったの楽しかった。別れが惜しかったなあ。

 

というわけでざっくりだけど小学校編は終了。次は中学校編。

 

今日の一曲

僕と不良と校庭で / 山崎まさよし

不良という言葉がついているのでなんとなく中学校なんじゃないかという曲だが自分が聞いていたのは小学生のころなので思い出の曲。

 

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